![]() |
阿波踊り連 |
「阿波踊り」は「総踊り」の興奮的側面ばかりが強調されるきらいがあります。祭りが面白いという噂がたつと、そこへ別の地域の人が見に来る。祭りの活気は外の人の活気で成り立っていて、終わるとそこで作られた関係が消えてしまう。見世物なのですね。横の関係ができていない。町の活性化につながらなくなっています。
目次
1.祭りの機能・構造・確認
祭りと言うのは、一過性の出来事ではなく、むしろ細かい部分で持っている。細かい部分が非常に重要だし、祭りの前後も重要、総踊りだけが祭りのすべてではありません。地域の自立性が非常に重要です。自立性を放棄してしまえば地域社会そのものが崩れてしまいます。どれだけヨコに広げるかがカギです。
祭りには「ふれあい」という機能、お祓いから始まり、演芸等で挑発し、反省会で終わるという構造、参加者が「自のよりどころを確認」という3つの要素があります。だからこそ繰り返す必要があるしそれは参加者に違和感なく受け入れられてゆくのだと思います。
阿波おどりそのものは「見世物」の域をはるかに超えて、地元にとっては生きる証となっています。伝承してゆくことで自信を持ち、地元への愛着や誇りとなって子どもたちの心を育てています。どうしても日常活動とか日常生活と切れないと思うのですね。しかし市が主催すると非日常性を強調して、日常性とのつながりや全体に対する細かい部分が乏しくなる傾向があります。
津には「津音頭」と「津のまち音頭」があります。津音頭は50数年前、北島三郎と五月みどりのコンビで歌われました。昔風のゆったりしたテンポで振り付けも5つか6つなので広く市民に広がりました。
しかし、10の市町村が合併したとなると、「津祭り」で津音頭だけというわけにはいかなくなるのですね。他の9市町村にもそれぞれの盆踊りがあり、津音頭にはなじみがない。それぞれの郷土芸能である盆踊りを「津祭り」でぜひ取り上げていただきたいものです。
それと、10市町村の住民が盆踊りをするとやっぱり「炭坑節」になるのですね。振り付けの覚えやすさでは天下一品です。
しかし、福岡県の盆踊りです。
そこで登場したのが、新曲「津のまち音頭」というわけです。
地元の人たちの思いを共有し共感する祭りの魅力を考えてゆきましょう。
気象庁がいってるように「災害レベルの猛暑」になる可能性は来年も否定できず関係者や観客、ボランティア等を危険にさらしかねません。実行委員や関係者、参加者の健康を第一に、開催時期そのものを検討すべき時期にきているのではないでしょうか。
7月第3日曜(津花火大会)、第3土曜(美里夏祭り)、8月第2土曜(美杉夏祭り)、8月第2日曜(久居花火)、8月15日(安濃祭り)の花火と重なってはと7月中旬まで前倒しされました。結果、梅雨が明けず準備する人は空を見上げてやきもきし、こどもは夏休み前でゆっくりできず、行事を消化するだけの祭りになってしまいました。お盆前後に戻すべきです。
阿波おどりそのものは「見世物」の域をはるかに超えて、地元にとっては生きる証となっています。伝承してゆくことで自信を持ち、地元への愛着や誇りとなって子どもたちの心を育てています。どうしても日常活動とか日常生活と切れないと思うのですね。しかし市が主催すると非日常性を強調して、日常性とのつながりや全体に対する細かい部分が乏しくなる傾向があります。
津には「津音頭」と「津のまち音頭」があります。津音頭は50数年前、北島三郎と五月みどりのコンビで歌われました。昔風のゆったりしたテンポで振り付けも5つか6つなので広く市民に広がりました。
しかし、10の市町村が合併したとなると、「津祭り」で津音頭だけというわけにはいかなくなるのですね。他の9市町村にもそれぞれの盆踊りがあり、津音頭にはなじみがない。それぞれの郷土芸能である盆踊りを「津祭り」でぜひ取り上げていただきたいものです。
それと、10市町村の住民が盆踊りをするとやっぱり「炭坑節」になるのですね。振り付けの覚えやすさでは天下一品です。
しかし、福岡県の盆踊りです。
そこで登場したのが、新曲「津のまち音頭」というわけです。
地元の人たちの思いを共有し共感する祭りの魅力を考えてゆきましょう。
2.いつやるのか?
記録的な猛暑の中、熱中症によって救急配送される人が1ヵ月に7万人を超え多くの方々が亡くなっているといいます。31度以上は危険です。夜間でも熱中症に注意が必要です。特に夜は体の不調に自分も周りも気づきにくく、対応が遅れてしまうことがあります。
気象庁がいってるように「災害レベルの猛暑」になる可能性は来年も否定できず関係者や観客、ボランティア等を危険にさらしかねません。実行委員や関係者、参加者の健康を第一に、開催時期そのものを検討すべき時期にきているのではないでしょうか。
7月第3日曜(津花火大会)、第3土曜(美里夏祭り)、8月第2土曜(美杉夏祭り)、8月第2日曜(久居花火)、8月15日(安濃祭り)の花火と重なってはと7月中旬まで前倒しされました。結果、梅雨が明けず準備する人は空を見上げてやきもきし、こどもは夏休み前でゆっくりできず、行事を消化するだけの祭りになってしまいました。お盆前後に戻すべきです。
3.どこでやるのか?
祭りと言うのは、地域社会の中でその人たちが自分で楽しんでいればいいことです。昔のままの共同体の中で小さくやっている、そういう社会はもうどこにもないでしょう。村でさえない。都市ももちろんない。でもやっぱり地域と言うのはある。場所はある訳です。
そういう中で生活している。もっと地域の空間の中で、もっと違う異質な人たちと交流出来る場、そこで行われることが、祭り、イベントなんだと思います。
だいたい「ふれあい」が大事だとする発想は上からの発想です。参加者は、確かにどこかに「ふれあい」を求めていますが、参加者は単なるイベントとではなくて、もっと別な「ふれあい」を求めていると思うのです。
上から企画されるイベントは、「ふれあい」の場を作ってゆく傾向が強くて、実際にはふれあいの場になっていないのです。主催者にとっては、何人集まったか? 屋台でどれくらい売れたか? が気になる所ですが、参加者にとっては自己確認ができたか?が大切です
だいたい「ふれあい」が大事だとする発想は上からの発想です。参加者は、確かにどこかに「ふれあい」を求めていますが、参加者は単なるイベントとではなくて、もっと別な「ふれあい」を求めていると思うのです。
上から企画されるイベントは、「ふれあい」の場を作ってゆく傾向が強くて、実際にはふれあいの場になっていないのです。主催者にとっては、何人集まったか? 屋台でどれくらい売れたか? が気になる所ですが、参加者にとっては自己確認ができたか?が大切です
4.誰が作るのか?
誰というのは、祭りにかかわる、祭りをつくる主体の問題です。ふつうは「実行委員会」という組織が行っています。ただ「あの人たちが勝手にやっている」という風になりがちです。新しい人をどんどん入れないと問題が起こりやがて廃れてゆくものです。
規則のない祭りはありません。ここでいう規則とは、実行委員が例えば、お祓いをうける、法被を着る、手順に従って動くなどによって正式の資格を得るのです。委員に何か大切なことを伝えているのです。
市が主催するような祭りには、集まってくる人や、住んでいる人はいるけど、市民が交流し人がその中でどういう新しいつながりを求めうるかと言う、ひとつの試みではあるけど、人がバラバラになっちゃっています。自分たちの祭りは自分たちでつくる。個人ひとり一人が参加することで、独自の文化を親から子へと伝え育めるのです。
5.何のためにやるのか?
衰退化した地域の自治意識をよみがえらせるものとして、祭りを運営してゆく中で、再び地域の人たちが自分たちのコミュニティの在り方を考え直すきっかけとして、祭りを考えてゆく必要があります。
例えば、近いうち必ず大地震が来るということを一つの契機にして、もう少し自分たちの周りの環境や生活、文化の在り方をとらえてゆく。ひとりでは生きてゆけない、自己のよりどころを確認させるという、祭りはそういう構造を持っているのではないかと思います。
バラバラだけじゃ人はおれないわけで、でもどうやってつながるのかわからない。だから勤めにでてつながるか、せいぜいグランドゴルフやカラオケ、もしくは「個」として閉じこもってしまうかですね。
6.どのようにするのか?
中身、内容の問題。どういう組織作りをするかは重要です。地元が楽しむためにやることにはよその人もいっぱい来るだろう、これは当然ですが、多様な祭りを地元がいかに楽しんで仕込んでゆくかということが、祭りの後の評価としても、次もやろうと言う動きにつながると言う気がします。
祭りによって、ふれあいや交流する機会は大事ですが、それとあいまって、やっぱり文化への影響がないと地域活性化につながってゆかないという気がします。一握りの住民だけでなく、広く人気を集めることができるプログラムを用意する。そういう中で、多くの賛同が得られないと、実際にお金をだしてくれるというところまではいかないものです。
伝統的なものがない団地自治会のイベントであっても内発的に改革してゆくことで祭りに発展してゆく可能性がでてくると思います。
伝統的なものがない団地自治会のイベントであっても内発的に改革してゆくことで祭りに発展してゆく可能性がでてくると思います。
※参考資料;「祭りのつくり方」晶文社 鶴見俊輔他